速読というやつは、昔から「右脳開発」とか「潜在脳力開発」あるいは「写真記憶」といった詐欺のニオイのするキーワードとセットで語られることが多い言葉でした。そして、非科学的な妄想話に飛びつく人たちをカモにしつつ、理性的な人たちからは批判の的にされてきた黒い歴史を持ったものなのです。
実際、2016年に出された「速読」に関する科学的な結論(様々な研究についてのメタ分析の結果)は「トレーニングによっては身につかない」というものです。
ここでいう「トレーニングによって身につかない速読」というのは、次のようなものとして定義されます。
- 通常の読書によって得られる理解や記憶を保ちながら(あるいは向上させながら)、読書スピードを数倍(から数十倍?)に引き上げた読み方
“右脳”、“潜在意識”、“写真のように”、“高速道路の効果(もしくは脳の可塑性)”、“ホワイトハウス(アメリカ)式”といったキーワードで語られる速読がそれに当たります。
これらは、すべて「効果なし」あるいは「せいぜい5割増し程度のスピードしか得られない」とされています。
この辺りのことについて知りたい方は、こちらの記事をどうぞ。
結局のところ、科学的に読書という営みを研究すればするほど、「読書の理解もスピードも、そう簡単に向上するものではない」と考えざるを得なくなるのです。例えば、
- 立ち止まることも、戻ることもなければ、理解というのは深まらないし、読み違いが起こりがち。
- 「頭の中で音にする」ことは読書スピードを抑えてしまうが、これを解放したら記憶に残りづらくなる。
- 読書スピードを決める要素としては「文章の難易度(あるいは読書力)」と「当該ジャンルの知識」が大きく関わっており、何でもかんでも速く読めるはずがない。
- ホワイトハウス式速読ってのは、まさに「当該ジャンルの知識」を、官僚からのレクチャーで仕入れた大統領府の高官だから実現できたもの。
- 本人が読めたという自己申告は恐ろしく当てにならない。
こういった話が、アメリカを中心とした心理学会(あるいは読書教育研究)の各種研究で明らかにされてきているわけです。もちろん、各種速読教室が主張するメソッドがまったく非科学的なものであることも。
そんな中、「フォーカス・リーディングを活用した読書指導が大学生の読書習慣に及ぼす効果」というタイトルの論文が、査読をパスして無事に科学論文誌に掲載されました。
世界的な権威が速読を否定しているのに、フォーカス・リーディングは、何を持って「科学的速読」と主張しているのか?── そう、いぶかる方も多いと思います。
実は、フォーカス・リーディングという読書法は、上記薄い赤色の枠内の5項目を認めた上で、
そこに、読み方の一つのオプションとして“速さ”という要素を加味してみよう!
というものに過ぎません。
意識的で(目的をもった)意図的な行為、つまり「戦略(ストラテジー)」として速読技術を使ってみよう、と。
なので「速読戦略」とか「戦略的な速読技術活用」と呼ぶべきものなのです。
すべての文章を一定のスピード、しかも超高速に読めるはずがないので、文章の難易度とか読書の目的(フォーカス)に応じて、臨機応変に、目的にふさわしいスピードと理解度のバランスをコントロールして読もう、という考え方です。
今回、読書科学に掲載された論文では、そのような読み方を「読書の柔軟性スキル」として扱い、「それによって、どのような理解度が得られているかは主観に過ぎず、客観性はないが、少なくともそのスキルを使うことで読書行動が変わったよ」という内容です。
決して、世間の速読業者が語る「超高速に読んで、理解も記憶もばっちり」というような魔法のごときスキルを実現した話ではありません。そして重要なことは、「だからフォーカス・リーディングは科学的に効果が認められた」とか「速読の効果が科学的に認められた」という話ではないよ、というお話です。
私の使命は「速読」というものを、夢をかなえる魔法のごとき存在から、超絶に現実的な「単なる技術」「単なる読書のオプション」にまで引きずり下ろし、誰でも活用可能な技術・戦略として世間に認知してもらうことなのです。
肝心の論文ですが、以下の通りJ-Stageの読書科学のページに掲載されておりますので、興味があれば読んでみてください。
いろいろツッコミどころの多い論文ですが、これまで日本の大学教育では「学生に読書を促す」試みでうまくいった例がほとんどありませんでした。それを打破する可能性がある試みという「ちょっと珍しいチャレンジ」という部分の価値が認められたのではないかと思います。
これが本当に「科学的に効果が認められる」となるためには、他の先生による再現実験や、もっと大規模な調査を実施する必要があるでしょうし、学生さんの「読んだつもり」を客観的に測定する理解テストを開発する必要もあります。
それを、2025年3月の博士課程在籍期限までかけて実現していければと考えているところです。
日本の大学生、社会人の効果的な教育プログラムとしての完成度を上げるためにも、ぜひ、あなたからの厳しい、忌憚のないご意見をお待ちしております。(^^*♪